
2016/11/3
「Dramatic Legacy 歴史遺産で発信するものがたり 近江の国・彦根市+多賀町」というイベントのゲストとして、「剱伎衆かむゐ サムライ・ソード・パフォーマンス」と称し、公演を行いました。
書家 前田鎌利さんとのコラボレ―ション
サムライソードアーティスト、かむゐが彦根城をバックにパフォーマンス
■主催
光とアートで発信するブランディング事業 彦根・多賀地域連携組織委員会
■書家 前田鎌利さん公式HP
http://www.maeda-kamari.com/
■かむゐ公式HP
https://samurai-kamui.com/
彦根城の歴史について
彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。